全ての居酒屋はトイレの中に大きな鏡を置くな

ない文章力を振り絞って恋と退屈について書きます

失恋はアートになりますか?

今朝ちょっと気になってる子に振られた。頻繁に連絡をしてたが色々考えて会うのも電話するのもやめようと言われそこから連絡が途絶えた。多分俺がメンヘラなのバレたな。

そんな憂鬱な幕開けだった今日。もともと一緒に岡本太郎美術館に行く予定だった友達にも急用。俺はこの憂鬱と退屈にまみれた日曜日をどうにかしなくては大きな悲しみに飲み込まれてしまうわけで、どこかに向かわなきゃ行けなかった。

そこで向かったのが東京現代美術館である。意外と駅から遠く苦労した。

チケットを求める列は長蛇だった。25分程待ちチケットを手に入れた。3800円。高ぇよ。ただ仕方ない。芸術に触れる為ならば。

俺はかれこれ4時間くらいかけ全ての展示を回った訳だがまあ分からん。芸術など分からん。

スピーカーの塊から詩がずっと流れていたりf:id:vnomal:20200216174225j:image

その中で印象的だったのはつづくという服かなんかの展示

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服のことに関しては何ら詳しくないので正直訳が分からなかったが、1つ服を作るということはその人の生活の1部を作るということだけは何となくわかった。というのもひとつのコーナーに知らない人の日記みたいなのとその時着ていた服が一緒に展示されているものがあった。

まさにその人はそのブランドの服と一緒に生涯をすごしていた。出産、母が亡くなった時。父のお見舞いも子供と過ごす時間も全てそのブランドの服を着ていた。最後そのデザイナーの言葉みたいなのが書かれていたのだが

有限の命を無限にするために作品を作る

的なニュアンスの言葉が書かれてあった。

分からん。何をしたって有限じゃないか人生なんて。時が人を殺してしまうんだから。そう思ったけども。あの人たちは作品を通して自分の生き様を永遠にしてしまおうとしているのか。

それが芸術だというのだろうか。分からない。全然芸術なんてわからない。

話は戻るが俺は軽い失恋をした。何度ため息をついても吐き出しきれない憂鬱が隙あらば心を真っ黒にしようとしてくる。ひとつの恋が終わる瞬間はどんな恋であろうとやっぱり虚しい。ただもしそれを芸術に昇華することが出来たならこの恋は永遠になるのだろうか。とりあえずその前に女の子を見つけてご飯に誘うことから始めてみよう。