全ての居酒屋はトイレの中に大きな鏡を置くな

ない文章力を振り絞って恋と退屈について書きます

君の憂鬱になりたいだけなのに

僕が好きな人のことを考える時、特に片思いの時心の中にあるのはいつも憂鬱なんですよね。

好きなはずなのに憂鬱なんですよ。それはまるで、月曜日や払い忘れた水道代のようにいつも憂鬱を運んでくるんです。好きな人なのに。

その根底にはどうしてもどうせ僕なんかっていう自分を否定する気持ちがあって、それ故に好きな人が自分以外の誰かと過ごすはずの未来を想像して憂鬱になってしまうんです。

それは実際奇跡的に出かけられたとしてもその横顔とかを見て、将来のその子の彼氏羨ましいなとか考えてまた憂鬱になってしまう。それを繰り返して気がついたら眠れなくなっていたりするわけです。嫌になってしまうよね。

だから人を好きになるのを何回もやめようとしたんですけどまあそんな理屈で辞められるものでもないわけでとりあえず心を落ち着かせるために股間に右手を伸ばした夜も何度もありました。

一方僕はそんな好きな人の憂鬱になってみたいんですよ。僕のことを思って憂鬱になって眠れない夜をすごして欲しいんですよ。

まだ始まってすらない恋を考えて勝手に憂鬱になって欲しいんです。

多分僕がそんな夜を沢山すごしてきたからこそ好きな人にもそうやっていて欲しいんですよね。

まあこれ言って共感してくれた人今までで一人しかいないんですけど。

まあそういうわけなんですよ。

でも本当はわたくしもふつうに好きな人の考えてドキドキしちゃいたいわけなんですよ。

それが出来ねえんだなあ。なんでなんだろうなあ。

明るいことだけ考えて生きて生きたいし、

幸せだって思いながら生きていきたいんです。

幸せはあとからふりかえって気がつくものだと僕の友達も言ってたし、それは確かにと思うんですけど、それでも今の自分を幸せだと言いたいんですよホントは、人間ってそういうもんじゃないんですかね、分からないけど。

一時期自分は幸せだと自分に言い聞かせてた時期があったんですけど、何かを求めてしまっているんですよねずっと。それが何かは分からないけどずっと幸せから何かが欠けてずっと物足りないままだったりするんですよね。

なんでなんですかね、自分は何をするべきなんですかね、何をすれば幸せだって言えるんですかね。

だから思うんです。幸せになりたきゃ幸せのハードルなんか下げてしまえよって思うんです。

結局世の中で1番楽しそうな人間は些細なことで幸せになれる人間だと思うんです。僕もそういう人になりたい、憧れる。と思っています。

まあそんなことを言いながらまた好きな人のこと考えて憂鬱になるんですけどね。