全ての居酒屋はトイレの中に大きな鏡を置くな

ない文章力を振り絞って恋と退屈について書きます

あの子の裸を見たいというのは下心だろうか

裸を見たいというのは下心だろうか。僕がまだ中学一年生。まだオナニーを覚える前の話。オナニー=恥だった時の話。好きな子がいた。笑顔がとっても可愛くて、いつもニコニコしてて、明るくて、友達も多くて、運動神経も良い子だった。カラオケではいつも少女時代を歌っていた。僕の1番綺麗な片思いの話。バスケ部のあの娘の話である。好きになるきっかけは至極単純だった。話しかけてくれるからである。人見知りだった僕に話しかけてくれる。そして下敷きで殴ってくる所も好きだった。今思えばこの瞬間僕の心の中に眠るMの心は熱く滾っていたのかもしれない。あの娘は最初メガネをかけていた。ゴリラに似ていた。なんとなくだがゴリラに似ていたがそれでも可愛かった。あの娘はコンタクトに変えた。めちゃくちゃ可愛かった。世界であった。あの娘は僕の世界そのものであった。あの娘のいる世に生まれ、あの娘のいる世に死ぬこと以外に意味なんて無い。四六時中あの娘のことだけを考えた。あの娘のメールを受信するためだけに僕のヤフーメールはあった。あの娘がグラウンドの近くを通ればそれだけで野球をいつもよりも張り切っていたんだ。前置きがなげえ。ここからが本題だがあの娘の裸を見たいというのは下心だろうか。僕はあの娘の事が好きでできれば付き合いたかった。こっそり2人で下校とかしてみたかったし、2人で部活のない日に2人で予定を合わせて駅直通のデパートでプリクラとか撮りたかった。僕の月額500円のお小遣いはその為だけにある。そして本能的になんとなくあの娘の裸が見たかった。しかし、その時不思議とその娘をどうこうしたいというのは無いのである。今であれば間違いなく交尾を求めてしまう。今の恋愛には性欲というものが付きまとうし、友達に彼女が出来たらついついセックスをしたか聞いてしまう。セックスがついてきてしまうのだ。嬉しくも、悲しくも。今の僕が裸を見たいと言ったらそれは下心であろう。でも中学一年生の僕が言う裸が見たいは下心とかそういうものを超越した綺麗なことなのかもしれない。そうでは無いのかもしれない。特に言うことも無いのでこの話はここまでだ。その後中学2年生の時あの娘は僕の仲良かった友達と付き合った。彼女欲しいなとか、今近く通った女の人のブラジャーが透けていたとかそんなことを言い合ってた友達と付き合った。男女の関係になった。お互いがお互いを異性として認め、好きになり、告白という手順をおって正式に彼氏及び彼女という存在になった。中学生の時のあのキレイな、ただ思春期特有のあのドロドロした感情の入り交じった中でお互いがお互いを恋人と認め合い。周りから冷やかされて照れ笑いをしたりとか一緒に帰ったりとか、恋人が全校集会で前に出た時にちょっとだけ照れくさくなったりとかしてたんだろうな。友達から色んな質問を受けたんだろう。チューした?とか手を繋いだ?とか。2人で電車に乗ったり。バスとか乗ってあの街のイオンとか行ったのだろうか。ゲームセンターでプリ機の中に入ってどんなポーズをすればいいかわからなくなったりとか。そういう青春がそこにはあったのだろうか。あんなに願ったのに2年生はあの娘と同じクラスになれなかった。神様なんて居ないのだ。あの娘に彼氏が出来た頃に覚えたオナニーを僕はこれからも一生続けていくのだろう。