全ての居酒屋はトイレの中に大きな鏡を置くな

ない文章力を振り絞って恋と退屈について書きます

世界線

人生には分岐点があると思うんですよ。

 

たとえば野球をやるやらない

 

ギターを持つ、持たない

 

実家を出る出ない。 小さなところだと柄シャツをタックインするか、しないか。

このブログを始めるか、始めないか。

その度に違った世界線があると僕は思うんです。その選択の度にパラレルワールドの僕も動き出すわけです。

もし違う世界線にいる自分に一度だけ話しかけられるとしたら僕は中学時代ずっと好きだった子に告白していた自分に話しかけたいんです。

 

その子とは結構いい感じで2人きりではないですが遊びに行ったり、メールのやり取りをしたりしていたんですよ。

その世界線の自分に話しかけてあの子の気持ちを確かめたいんです。

付き合えたのか振られたのか聞きたいんです。あわよくば一日だけ代わってもらってあの子とイオンに行きたいんです。お金が無いので外のセブンティーンアイスを二人で食べたいんです。それ以外のことは何も求めない。それが僕にとっての贅沢なんです。

あの頃の贅沢って今では日常に霞んでしまうことがとても綺麗に輝いて見えるんです。

逆に言うと今では日常に霞んでしまうからこそ美しいと思うんです。

一日だけ代わってもらうことが出来なくても僕はその美しさを知っている僕の話を聞きたいと思うんです。

 

その美しさは学生の特権です。とても綺麗で真っ白な思い出です。

 

もし中学生の頃のまだあの子を好きになりたての自分がこれを読む機会があったら言いたいです。

 

恥じてはいけないよ。振られても綺麗な思い出にして消費してしまえばいいだけだよ。

 

まあその子はその後僕の友達と付き合い始めたんですけどね。