全ての居酒屋はトイレの中に大きな鏡を置くな

ない文章力を振り絞って恋と退屈について書きます

カモメ

今日は3月11日 あんまり好きになれなかった元カノの誕生日であり、何より東日本大震災の日だったりするわけです。

まあ別に俺は長々と語るような甚大な被害は受けてないし、当事者かと言われたら微妙なライン。そんな感じだったりするんすよ。

まあでも1度だけ3年くらい前に福島の丁度被害の大きかった場所を通ったことがあるんです。

たまたまその日は母親の実家であり俺の生まれただけの場所がある青森に車で向かってた時に、その部分だけたまたま工事していて高速を降ろされて下道で向かわなきゃ行けなくて、仕方なく降りたんですよ。衝撃でしたよ。

もう時間はある程度経って俺の中でも薄れてたんすよ。東日本大震災なんて、過去の大変だった経験くらいにしか思ってなかったりする訳です。ある意味俺の中では終わった出来事だったりするわけです。

でもまだその場所では震災は終わってなかったんですよ。ありふれた生活の光や音が、ごくごく当たり前の命の営みが全く感じないわけです。

その時ばかりは俺も言葉を失いましたよ。

こんなことってあるんだ、と思うくらいになんの光もないし信号もついてても点滅してるし、ほんとに意味がわかんない。

その時ほんの少しだけ俺の中の終わっていた震災が少しだけまだ終わってなかったんだな、と僅かに動き出したような気がします。

まあ俺はカスなんでそれからの毎日もただ消費するように生きているんですけど。

それでも心の片隅にだけは少し置いておこうと思うわけです。俺はわざわざYahooで3.11と検索してそれをインスタのストーリーに上げるようなことはプライドが邪魔するのでもうできないけど、ずっと心の片隅に置いておこうと思うんです。

まだ震災が終わっていない人がいること、俺が勝手に終わらせてしまっていたこと。日々を無駄にしていても時は動き続けていること。

まあ風化させちゃいけない訳なんですよね。まあ我々忘れる生き物である以上、また忘れてしまう人が増えてくると思うんですけど。

忘れるなとは言わないし、毎日を大切に生きよう!!!なんて言わないですよ俺も。何も無い毎日もそれはそれでくだらないしつまらないし自分の意義を忘れることくらいありますよ。

今更惰性で生きてるだけの毎日を愛して抱きしめてあげることなんて正直俺もできない。絶対できないっすよ。まあでもとりあえず心の片隅にだけ置いておきます。俺は。別にみんながそうする必要とかはないとは思うんですけど。とりあえず心の片隅にあの日見た風景と人生で1回だけデートしためちゃくちゃ可愛かったあの子のことは忘れないようにしようと思うんです。バイバイする時あの子の着ていた緑のコートが遠ざかっていく景色も忘れないようにしよう。